母親から娘へ、女の洗脳
母親は娘に「同性としてのアドバイス」を授ける。
貞操観念についてがそれだ。
「ナンパされるのは自分が尻軽にみられている証拠」
「男をとっかえひっかえの女なんて性欲のはけ口、便所と同じ」
「挑発的なファッションをするなら痴漢やセクハラされてもしかたがない」
これは私が14歳のときに言われた母からのアドバイス。
当時はうんうん、その通りだ、そんな女はけしからんなどと同調しつつ、思春期の女子だった私の関心は恋愛にあり。
制服のスカートを短くし、親に隠れてアイメイクをし、リップクリームはポケットに常時いれてオシャレな女の子と戯れ、いつだって男子の目を気にしてた。
好奇心からセックスだってしてみたかった。
母親の言う尻軽女批判に頷いたものの、本心は全く逆の方に魅力を感じていた。
今思えば反抗期の一つだったのかも。
図らずも、社会人になった私は母親のアドバイスの反証をしていた。
"ナンパをされる女は見下されているのか"
NO.
実際にナンパを受けていると、男がそれぞれなようにナンパもそれぞれなのだ。
お手軽セックスにたどり着きたい人もいれば、出会いを探している人もいる。
異性と盛り上がりたいだけの人もいる。
女を尻軽と見下しているからナンパする人ばかりじゃない。
「楽しそうな子」だからナンパするのだ。
"男をとっかえひっかえの女は公衆便所なのか"
NO.
社会人になって少し経った頃、私は恋人を別れたのをきっかけに、自分が魅力を感じた男性とは積極的に一夜限りの関係を結んでた。
クラブ、コンパ、イベント、魅力的な男は出かければそこかしこにいる。
パートナーがいないんだ、いろいろ試してみたってバチはあたらない。
色々と遊んでみたが自分が"公衆便所"だと感じるようなことは、あまりなかった。
ゼロじゃない。自慰とセックスの区別もつかない独りよがりのくだらない男もいるものだ。
大抵は自分を男性として良く見られようと、丁寧に接してくれる。気遣ってくれる。
お互いサービスを与え合い、限りある関係の中で楽しむ。
恋に落ちれば恋愛関係にだってなる。
"挑発的なファッションは痴漢セクハラOKのサイン?"
NO.
これはもはや性被害における神話レベル。
痴漢やセクハラをするやつは、OKのサインなんか出されなくても自分の欲望に忠実に相手を選んでいる。痴漢、セクハラを受ける女に既定の姿なんてない。
性加害者による。
母の言うことが事実であれば、全国のセクハラはセクシーな女性だけに偏って起きていることになるが、もちろん事実はそうじゃない。
私の母は男性経験が少なく、当時父親がホステスと浮気をしていた事実もあってコンプレックスもあったのではないか。そのコンプレックスの裏返しの言葉なのでは、と今は思う。
母親の「同性としてのアドバイス」は私には活きなかった。
同時に貞操観念は自分が自由にできるものだと学んだ。
事実に基づかないアドバイスなんてクソくらえ。